高校留学体験談|ヒッポファミリークラブ
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高校留学体験者の声

千代田洋・ドイツ

ぼくとママのドイツ語

千代田洋・ドイツ (出発時・高2)


小4の時、ドイツの家族交流に参加したことがきっかけで、僕はYLでドイツに行くことにした。出願してから、毎朝1時間早く起きて母とイチローを1本メタ活したり、ファミリーでもみんなに頼んで一緒に一日中歌う日をつくったり、自分のアプリケーションは言えるようになって行きたいと思い、とにかく歌って準備をした。だから何となくドイツ語もわかるような気もしたし、自信もあった。

そして本番になりドイツへ。パパとママと同い年の女の子ナディーヌの3人家族で、行ってみて驚いたのはホストママはトルコの人だったし、パパとは結婚していないので、家の中でパパのことを「パパ」と呼ぶのは僕だけだった。

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長谷川泰斗・ドイツ

やってみないとわからない

長谷川泰斗・ドイツ (出発時・高1)

ドイツ人はみんなサッカーが好きだという、勝手な自分の期待がありました。しかし、いざ学校で“Magst du Fussball?(サッカーは好き?)”と聞いたら“Ich hasse das.(嫌い)”。その上、彼らの好きな話題はバイクのことなど僕があまり知らないジャンルでした。でもこのままだと、このクラスに僕の居場所がなくなってしまうと思い「自分から合わせていこう」と考えを変えて、家からバイクの写真を持って行って、話題にしたり、友達のバイクに興味を示したりしてみました。イヤロン中には考え方を転換させるべき瞬間がたくさんあって、それがプラスになるか、マイナスになるかはやってみないとわからないけど、その経験が今とても役に立っています。

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清水日毬・フランス

ゼロからのチャレンジ

清水日毬・フランス (出発時・高1)

父の転勤で中1からアメリカへ引っ越した私。ことば、友だち、学校・・・といろいろ葛藤していた私にはイヤロンなんて考えられないと思っていた。1年かけて英語が話せるようになった頃、日本のヒッポの仲間がイヤロンを決めたと言う話が耳に入りだんだん気になってきた。せっかくならもっと英語を極めるために英語圏に行こうか?ヒッポの人に相談したら「もったいないから英語圏以外のことろへ行ったらいい。フランスはどう?」と勧められ、考えてもいなかったフランスへ行くことを決めた。ゼロに等しいフランス語でチャレンジしてみようと思った。

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増田剛己・カナダ

世界が広がった

増田剛己・カナダ (出発時・高2)

Canadaのサスカチュワン州に10ヵ月留学した。そこは冬に-30℃にもなる極寒の地である。
僕のカナダのbest friendはメキシコ人のAlex。彼は留学生でスペイン語を話す。Alexは優しいし兄のような存在だった。彼の話すSpanishについてもっと知りたいと思った。だから僕は “How do you say ~ in Spanish “ と何回も聞いた。そのおかげで、カナダの文化や英語だけじゃなくて、スペイン語やメキシコの文化も知ることができた。将来はこの経験を生かして世界の人に“Thank you”を言ってもらえる仕事をしたい。

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濱田麻友香・スペイン

Corazón abierto

濱田麻友香・スペイン (出発時・高1)

スペインのホストファミリーはパパ、ママ、2人の弟。The Spain ! って感じの陽気で楽しい家族。もともとおしゃべり大好きでよく笑う性格の私なのに、初めの1ヵ月間は日本での自分を全然出せなかった。学校でなかなか仲の良い友だちができなくて悩んでいても、それを家族には相談できない自分。ホストママは声が大きくて、思ったことは全部はっきり言う人。日本の母とは180度違う性格だからなかなかママに思ったことを言えなかった。でも“Tengo que cambiar(変わらなければいけない)”と思った。

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大谷奈穂・メキシコ

メヒカーナの次は多言語人間!

大谷奈穂・メキシコ (出発時・高1)

Mexicoに着いて一番ビックリしたことは、Mexicoの日常の中で、ものすごくCDの音が聞こえたこと。例えば私の友だちのAlejandra はテストが返された時によく「メキボケ、メキボケ」って言っていた。帰ってCD聞いてみたらあるある‼ イチローが教室を間違えるところに「me equivoque de salón 」しかも前まで「メキボケ」としか聞こえてなかったのに、その時は「me equivoque 」にはっきり聞こえて感動!! 準備で何気なく聞いていたスペイン語だけど、実は私の体にスペイン語の波が入っていた。
私のMexicoの家族はパパとママとお姉ちゃんのDaniela と2人の妹のItzel とSofía 。よく妹とケンカをした。最初の2ヵ月半の時は、まだケンカしている時のスペイン語は意味もわからないから怒りも出なかったのが、4ヵ月経った頃に、言われていることも全部わかってきて、わかると返せるようになった。横で見ていたママが「なほ、スペイン語成長したねー」って言ってくれ、私も「そうでしょ〜」って。ケンカは好きじゃなかったけど、スペイン語を成長させてくれた時間だった。
お姉ちゃんは英語やフランス語の授業もとっていたり、私は家でヒッポのロシア語や韓国語等のストーリーCDを流していたので、家の中が自然と多言語だった。それは私の日本の家みたいで居心地よく過ごせた。そして日本に帰ってきて、スペイン語だけでなく、苦手意識を持っていた英語もなんとなくわかってしまうという体験をした。2言語目(スペイン語)より3言語目(英語)の方が楽に習得できるのかなと思った。さらにフランス語をやってみたくなったり、自分が多言語人間になれる可能性が見つかったかな。

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本多理紗子・オーストラリア

夢を見つけた

本多理紗子・オーストラリア (出発時・高3)

動物が大好きな私は、アデレード コアラ ホスピタルという施設で、1年間動物看護のボランティアをしました。そこではコアラを中心に野生動物を保護・治療して野生へ戻す活動をしていました。初めてで戸惑うことだらけの私に、職場で働く人たちはみんな本当のお姉さん、お母さんのように優しく、また元気に帰っていく動物たちを見るととても嬉しくなり、動物看護師になろうと決心して帰ってきました!

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秋山祐香・アメリカ

変わるのは自分から

秋山祐香・アメリカ (出発時:高3 北海道)

私がこの高校留学を決意したのは、決断力がなくて周りに流されやすい”自分を変えたい”という思いから。アメリカでは今までと全く違う環境で学校や家でいろいろ苦労したけど、ホストファミリーや友だちの優しさに甘えながら、大きなトラブルもなく毎日をすごしていた。だけど12月初旬に同じホストフアミリーにステイしてた香港の留学生が急にホストチェンジをして学校からもいなくなった。頼りにしていた友人が急にいなくなり自分から行動しないといけない現実に直面し、日本にいた時と同じ自分がいることに気がついた。

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鵜飼太士・アメリカ

夢への第一歩

鵜飼太士・アメリカ (出発時:高1 愛知県)

1年前の夏、僕は期待と緊張を胸に、成田からアメリカ・バージニア州に向けて出発した。僕のホストファミリーはホストパパ、ママとエリンとアルフィオの4人。ママには、手伝うことがなくても“May I help you?”といつも言い続け、なんでも自分から行動を起こすようにした。
学校のシーズンスポーツの一つに、もともと好きだったサッカーを選んだ。トライアウトにも無事合格し、チームに入った僕。試合ではゴールを決めたのに、張り切りすぎてゴールパフォーマンスでイエローカードが出てしまった。でも2試合で、3ゴール3アシスト。翌日先生に呼ばれて行ってみると新聞記者が待っていて、なんとインタビュー!紙面には“Ukai makes debut in soccer for Falcons!”ちょっと大きめな記事でテンションが上がった。

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芳賀渉平・スペイン

サリールで歌!

芳賀渉平・スペイン (出発時:高3 東京都)

私はスペインでに一年を通して、とても意識していたことがあります。それはいかにスペイン人のようにスペイン語を話せるようになるかということです。私は、いつもスペインの皆が話すことばをよく聞いていました。そしてそれをそのまま真似することを意識して、頭に残っている音をそのまま口に出していました。スペイン人のスペイン語をすぐに真似できたのは、日本で多言語のCDを毎日のように聞いて歌う準備をしてきたことも大きかったと思います。

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