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ことばが話せる自然の論理

ことばが話せる自然の論理

一般財団法人
言語交流研究所
創設者
榊原 陽

ヒッポファミリークラブでやっているのは「外国語」ではない。同じ人間のことばの活動である。この仕事を始めて以来、私がやってきたことはただひとつ「人間とは何か」ということを探求し続けることだった。ヒッポファミリークラブでは活動をしている様々な人たちがいろいろな話をしてくれる。自分ひとりでは見つけられないことも、人間にはことばがあるから人の体験を通して、ことばをはなす人間とは何か、ということを私もみつけることができるのである。言い換えれば、人間に一度生まれたなら、人間に生まれて良かったな、人間ってすごいな、と実感する話に耳を傾けながら、私はこの活動を続けてきただけだ。

人間は音声を文字に書き換えた瞬間から、ことばを◯◯語、□□語というふうに外側から見るようになり、その違いばかりに注目するようになってしまった。これが「外国語」という思想の誕生ではなかったか。

ことばは全て、同じ人間のことばである。ヒッポには「外国語」というものは存在しない。
自分のこどもが生まれた時「この子が大きくなった時、世界はどんどん狭くなっていくだろう。

そんな世界を伸び伸び生きていってほしい。
それには日本語以外のことばも出来たらいいじゃないか。」
そう思ってこの仕事を始めたのは40年程前のことだ。当時英語で始めたこの活動も、
今では21 のことばの世界に広がった。

ことばの数が問題なわけではない。
同じ人間が見つけることばの自然な道筋が、多言語を通してくっきりと見えてくるのである。
あらゆる言語はその構成音群が見事に共鳴し、簡明な秩序でそれぞれの交響曲を奏でている。
自然がどう振る舞っているのか、人間のことばとは何か。
皆とともに探求していく場がヒッポファミリークラブである。

多言語を学ぶ意味

私がこれからを担う真のリーダーシップについて必要だと思うのは「多言語を話す」といスタンスです。多言語を話すということは「違ったことば、価値観を持った人を自分の中に受け入れる」ということに、「寛容」ということです。それは自分が人間としてより豊かになることです。
ヒッポではまず相手の母語を大切にしようというスタンスで多言語を育んでいます。そんな世界が広がっていくことに、ことばを学ぶことの本質的な意味があるのではないでしょうか。

在米国際基督教大学財団理事
LEX America理事
大和田 康之

人間の言語能力は無限

一人の人が習得できることばの数に限りはありません。母(国)語を話すことができる人なら誰でも、新しいことばを話すことができます。臨界期というような、一定の年齢を過ぎたら新しいことばを学ぶことができなくなるというものはないのです。人間の言語能力は無限です。私が考える「ことばの獲得プログラム」が、日本のヒッポファミリークラブで実践されていることに大変驚き、感銘を受けました。

マサチューセッツ工科大学教授/
言語学 多言語獲得研究
Suzanne Flynn