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各種報告

トラカレオープン講座
夏休みの3日間、渋谷のヒッポ本部にて5名の研究・活動協力者の方々を招いて、恒例のトラカレオープン講座が開催されました。
講座によっては小学1年生から参加が可能になり、延べ500名の親子連れが集いました。

7/29(木)10:30~12:30 永井清陽さん(ジャーナリスト・元読売新聞社)
「日本語は易しいのか ~言語と国家~」

世界各地での駐在体験から、ことばや各地の文化、思想など永井さんの独自の視点でお話ししてくれる「言語と国家」シリーズ。今回は海外の人からみた日本語や、日本での英語教育に対するローマ字の弊害など、また民族と言語の関係などを話していただきました。

7/29(木)14:00~16:00 鈴木淳さん(電気通信大学助教・情報システム学)
「確率と量子力学」

量子コンピューターをご専門とする鈴木さんの講座。確率という学問がどうしてできたのか、また私たちの日常にある確率から量子力学の世界での確率に至るまで、具体的な例題とともにお話ししていただきました。

7/31(木)10:30~12:30 丸山瑛一さん(理化学研究所 名誉研究員)
「科学論文の真と偽」

世の中には間違いだらけでも人を引き付け納得させられる論文と、正しいことが書いてあるけれど全く面白味のない論文があります・・・と始まった丸山さんの講座。科学者が実験結果と事実の間をゆれながら、最後はその人の良心によるという話は、科学もやはり人間が見つけてきたものだということを改めて考えるきっかけになりました。

8/2(金)10:30~12:30 塚原祐輔さん(理研ジェネシス 代表取締役社長)
「ことばと人間と場について」
 ↓ 下記参照

8/2(金)14:00~16:00 竹内昌治さん(東京大学教授・生産技術研究所)
「生きものを使うものづくり」

ナノテクノロジーがご専門の竹内さん。生物から物理、工学、アートまでさまざまな分野を通してのモノづくりは、今まで不可能だったことを実現させ、人間の未来にワクワクさせられるお話しでした。

≪塚原祐輔さんの講座リポート≫ 
ことばと人間と場について
プラスの電荷の近くにマイナスの電荷を置くと引っ張り合う現象がみられます。それは1対1の距離の関係によると長く考えられてきましたが、別の考え方をした人もいました。
電荷にはその周囲に「電場」とよばれる場があり、引っ張られる現象は、プラスの電荷がつくっている電場にマイナスの電荷が作用しているからと考える場の概念。場はプラスの電荷ばかりでなく、マイナスの電荷も場を持っているわけですから、お互いがお互いの場の中で作用しあっているのです。見た目は同じ現象でも、距離の関係をあらわす数式と、場での作用をあらわす数式では違います。では、ここに電荷ではなく、一粒の米粒があったとします。米粒はどうあらわせるのでしょうか。米粒にも場があり数式があるのでしょうか。

塚原先生によると、量子力学ではすべての物質はある確率のもとを表す波動関数であらわせるのだそうです。この米粒は米粒ではなく、米粒の波動関数がある、つまり見えないけれど、存在の確かさであらわせるということでしょうか。あるところでは、値がすごく高いけれど、少し離れたところでは低い。さらに離れたところではもっと低い数値が出るけれど、ゼロではないのです。なくはない米粒の存在の確かさ・・・現実の世界では理解しにくい量子確率の世界。初日の鈴木淳さんの講座とも重なります。古典的確率の世界では、現在を知ることで未来が予測できたのに、量子確率の世界では現在を知っても未来は予測できない。私たちが知っている日常的な確率とは全く違うんだなということだけはわかります。

物質の相互関係を、個々に引き合う力で見るのではなく、お互いの場の中で影響されると考えるとすると、電荷なら電場。磁石なら磁場。米粒なら波動関数。そして人だったらどうでしょうか。
塚原さんはマービンミンスキーという人工知能の研究者のことを話してくれました。ミンスキーによると、人間が何か実在のものを考える時、脳にモデルができて、実在について考えるのではなくそのモデルについて考えているのだそうです。だから個々の脳にあるモデルはみんな違います。Aというものを考えた時、Dさんの考えるA(のモデル)とEさんの考えるA(のモデル)は違うのです。それぞれの人が見る、触る、においをかぐなど体験や感覚から入ってきたものが頭の中にできてきて世界がつくられるのだそうです。

人と人の間ではやり取りの中で同じものを感じたり、やり取りの時間を共有した時に、そこに場ができるそうです。ヒッポの場でも同様で、ことばの体験、交流体験談、話す人と聞いてる人たちの中で、ある体験や感情が重なることで場ができていく。そんな時、目には見えないけれど、場の力を感じることもあります。
最後に塚原さんの「目に見えて触ることができて実在だと思いたくなるようなものはほんの表層にすぎないんですよ。理解できない、触ることも見ることもできないもの、世界の大半はそんなものでできているんです」ということばが印象的でした。私たちの世界をつくっているのは手応えのある「物」だけではなく、確率でしか存在を表すことができない世界があり、そんな一見不確かに感じるものが私たちを動かしているし、それを人間がことばで見つけてきたわけです。あらためて、ことばにすることの意味を見つけることができました。