ヒッポで育って。。。|体験談|ヒッポファミリークラブ
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ヒッポで育って。。。Hippo育ち

かわら版 / 第21号2015.10

大家好!我叫铃木素平。今年21岁,然后现在在美国留学。住在加利福尼亚州的洛杉矶。好莱坞的附近。There I go to a university called California State University Northridge, also known as CSUN, and I am majoring in music. 지금여름방학으로일본에돌아왔어요
私はヒッポの環境で生まれ育ち、今はヒッポの大学留学「ゆにろん」プログラムでアメリカのカリフォルニア州で大学留学中である。日本に一時帰国中の夏休みに、いろんなところで話す機会をもらい、そのために自分にとってヒッポとは何かということを考えさせられた。そこで見つけたことをひとつ紹介したい。ことばをつなぐとき、言語を勉強した人は文法というものにそって正しい文章をつくる。英語なら多くの人はS+V+Oなどのルールを学んだ記憶が出てくるだろう。でも私の感覚では、母語(日本語)の文法の捉え方と他の言語の文法の捉えかたは一緒だ。日本語で話す際に、私は格助詞の「は」と「が」なんて、感覚と気分で使い分けている。「あなたに話はあります」という文章は気分的にすっきりしないから使わない。その程度のことである。そして、他の言語もそのような感覚で、すっきりするかしないかで文法の使い分けをしていると感じるのである。例えば、「I amhere now」という英文があるとする。これを日本語に文法も意識せず直訳すると、「私、いる、ここ、今」になると思う。これは私にとっては非常に気持ちが悪い。ただ、ここに「私am ここnow」と英語を混ぜるとなぜか気持ち的にすごくすっきりする。これはおそらく英語の文法を感じる感覚で日本語の単語を混ぜているからであろう。日本語の文法を感じる感覚で「I はnow here にいる」これもかなりすっきりする。でもなぜか「I はnow ここにam」と書いた場合、「am」のところはすっきりしない。「am」は主語の後に来るということを身体で感じているのかもしれない。その感覚を私はヒッポで多言語をたくさん聞き、話すことで、自然と身体が覚えてきたのだろうと思う。それは3言語以上になるともっと楽ちんで、英語の「There is a soccer ball.」という文で、「soccer ball」を先に言ってしまったとき、多言語を使っていいなら、「Soccer ball が있어요(イッソヨ)」のように気持いい文章に一瞬で変えることができる。後の問題はそれをまわりが受け入れてくれるかである。でも、その環境がヒッポにはあると思うのである。
(鈴木素平・大2/神奈川県・嬉F)