もうすぐ全開!りゅうさん、キムさん、感謝ムニダ~|体験談|ヒッポファミリークラブ
TOP >  » もうすぐ全開!りゅうさん、キムさん、感謝ムニダ~

体験談・メンバーの声

もうすぐ全開!りゅうさん、キムさん、感謝ムニダ~家族交流体験談

▼韓国のホストママ、りゅうさん(右から2番目)とご主人のキムさん(隣)。左端が野中さん
私たち家族がヒッポと出会うきっかけになったのは、こどもたちへの教育や社会性などで悩んでいる時に偶然ヒッポのポスターと出会い、説明会に参加したことから始まりました。

その後、地元のファミリーに数回通ってるうちに自分の中に違和感を覚え始め、いつしかヒッポに出かける家族に背を向けるようになりました。私の感じた違和感は、男性の入りにくい独特の雰囲気、保育園やお母さん会のような感じでした。そんなことから、火曜日になると必ずと言っていいほど“ヒッポ”を理由に夫婦喧嘩をするようになり、私自身の居場所すら見えなくなっていきました。行きたくないワケではない。でも自分が感じる違和感を理解してほしい。そんな私に対してこどもたちは、毎回一生懸命「父ちゃん行こうよ!」と誘ってくれましたが、私は頑なに拒み続け、自分の殻に閉じこもるようになりました。

当時、私は家の中でCDがかかっているとイライラしてCDを止めたり、“ヒッポ”というキーワードを耳にすると声を荒げて妻と口論し、私たちの関係には深い亀裂が入っていました。夫婦だけではなく、こどもたちにも悪かったと思います。こどもたちも私に対して気を使うようになり、悲しい目で私を見ていたことを覚えています。今、振り返って考えると本当に悲しく寂しい時間でした。

そんなことが1年近く続きましたが、今年の春頃、妻の口から家族交流の話が浮上しました。「家族そろってホームステイができるのは、もう無いかもしれないよ」と顔を合わせる度にいわれて、しばらく悩んだ結果「行ってみても良いかもな」と、気持ちが少し前に進むことになりました。正直なところ、妻に言いくるめられたのかもしれませんが、それが後に大きな結果と成長を私にもたらしてくれました。

私は当日まで、ヒッポの交流準備会などには一度も参加していません。勿論みんなのようにヒッポのマテリアルCDは聴いていないし、自己紹介のためのグッズだって作ってはいない。出発前夜はただ闇雲に、家族の為を思いながら夜通し荷造りを行いました。
「“赤ちゃんになる”とか“家族になる”ってなんだろう?」と疑問を抱きながら、当日の朝を迎えました。
飛行機の中で、こどもたちが喜んでいる姿をみて、僕は嬉しくなって「参加して良かったな」と思う反面で、「まずい!韓国語の挨拶がわからない!」と焦り始めました。隣の座席に座っているヒッポのメンバーやその家族に対して「できそうな人たちだな…」とただならぬオーラを感じ、更に焦って手荷物から数日前に書店で購入した参考書を見ながら、メモ帳にひたすら書き綴っている僕の姿を、横目で見るその隣人の視線が痛かったのを覚えています。
韓国に降り立ったものの、ことばがわからない我々は“赤ちゃん”なんだと少ししてから気づきました。
「ん!?まずい。韓国語がわからない!」と不安を抱いていた我々家族の心内に気づいたのか、一人の女性が近づいてきて、声を掛けてくれました。日本で事前にもらった調査票にあったホストファミリーのりゅうさんだ!と気づきましたが、何を話して良いのかわからず、もじもじしながらとりあえず微笑んでいました。

毎日、一生懸命、慣れない韓国語と日本語を交えて二人に話しかけている妻や嬉しそうにしているこどもたちを見ていると私自身も嬉しくなり「良かったね」を連発していました。ただ、私自身からはなかなか心を開くことができず、とりあえず日本語で挨拶する私に対して二人は韓国語と日本語を交えて対応してくれました。機内で書き綴っただけの挨拶なんて浮かんでこないし、全く口から出ませんでした。ただ、りゅうさんの家中で流れているヒッポのCDだけは心地よく耳に付きました。トイレや寝室でこっそりメモ帳を見ていた自分が恥ずかしくなりメモ帳を置きました。それからはわからなくても、何となく口真似をしながら話すようにしました。CDを聴く、ことばを歌うことが大事なんだと気づき始めたのです。
連日多忙な中で、ご主人のキムさんは私たち家族を実の家族のようにもてなしてくれました。「野中さん、問題ないですよ!」と毎日、精一杯の日本語を交えて、我々家族と真摯に向き合ってくれたキムさん。靴ずれしていても口にせずに、ソウル市内を一緒に歩き続けてくれたりゅうさん。短い時間でしたが、お二人の人柄に私自身、心を動かされてしまいました。手を繋いで寄り添いながら街中を歩いている二人の姿を見ていると何だか羨ましくなり、私たち夫婦が出会った頃のことを思い出しました。
別れが近づくにつれて寂しい気持ちで胸が熱くなり、最後の夜はお酒を飲んでいたこともあって自然に涙がでてきました。お二人を通して、いろいろな意味で「“家族になる”ってこういうことなんだろうな」と長い間、忘れていた大切な気持ちに気づくことができました。

キムさんが「私はヒッポがあまり好きではないです。でも私のこどもたちは、ヒッポを通じてたくさんの国をみることができました。こどもたちが人間として大きく成長できたのはヒッポのおかげ。だから、ヒッポは良いですね。何か問題ありますか?」と語っていました。
また、りゅうさんは「あと少しで夫が定年になるからその時、一緒にホームステイをするために外国へ行きたいと思います。夫がヒッポに参加してくれることが今の夢です」と語っていました。二人の関係が、何となく私たち夫婦に似ているような、何だか不思議な感覚になったことを覚えています。

私は交流中、誰に対しても心を開くことができず、交流や出会いを楽しむことができませんでした。そんな私の気持ちに察したりゅうさんは「扉を開いて寝て欲しかった。それが残念です」と最後に言っていました。もっと早く今の気持ちに気づけていたら、あの交流は違った形で私に影響していたのだと思います。

家族交流を通じて、私自身に変化をもたらしました。それは、交流中から現在に至るまで、出会う人がそれぞれ違う形で、私の凍りついた心を少しずつゆっくりと解凍するかのように関わってくれたかげだと思います。今は胸の痞えがとれた様な、すがすがしい気持ちです。家族の絆も深まったような気がして、本当に幸せです。
今まで私はヒッポに対して背を向けていましたが、これからはりゅうさんの夢や自分自身の為にも少しずつヒッポに参加しようと思います。私たち家族は、りゅうさん夫婦に感謝し、いつか時間をつくって里帰りしたいと思います。

後日談・・・
ヒッポのワークショップで、今回の韓国交流の体験談を話すチャンスをもらい、そこで別の地域のお父さんメンバーと話すことができました。彼から今度「一緒にメキシコ交流に行こうよ!」と誘われました。
妻と相談し、だいぶ悩んだ末、“韓国で何もできなかった自分を変える為にも、メキシコへの誘いは何か運命を感じる”と参加を決心しました。今回は、精一杯赤ちゃんになって、たくさんの人からことばを貰いたいと思います。自分の殻を破るぞ!グラシアス!!