話せるようになる頃、書けるように|体験談|ヒッポファミリークラブ
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話せるようになる頃、書けるように高校留学

山崎果歩7

山崎果歩3

山崎佳歩 / ドイツ・出発時:高1/長崎県

私は小6の時に韓国へ、中1の時にアメリカへ、また中3の時にドイツへと青少年交流でホームステイをたくさんしてきた。でも、これまでホームステイから帰ってきてもその国のことばがペラペラに話せるという実感はなかった。だからこのイヤロンを通して、ドイツ語の勉強などしないで、多言語CDを聞いたり真似をしたりする準備をして、実際にドイツへ行って話せるようになるのか自分の体で試してみたかった。私は、ドイツ人のようになって一年後、日本に帰国するのが目標だった。
最初は会話ができなかったけど、たくさん人の真似をして、たくさん友だちのことばを繰り返し使ったりしていると、だんだんドイツ語が自分の体の中に溜まってきて、今ではごく普通にドイツ人と会話ができるようになった。

話すことが中心だから最初は、全然文字もかけず授業も大変だった。そこで友だちと手紙の交換をしてみた。最初はメモ程度の手紙も、会話ができるようになってきた頃には手紙もどんどん長くなっていった。友だちに手紙を書くことは楽しいし、返事をもらうことによってまた、嬉しくなる。それによって辞書ではわからないような言い回しや生のドイツ語をどんどん吸収できたし、友だちともわかり合えるようになっていったのが嬉しかった。

家の中では、リビングで妹と映画を見たり、本を読んだり、常に誰かと一緒にいてドイツ語の環境を大事にしていた。もちろん、妹同士で喧嘩することもあり、よく使う悪いことばも自然にたくさん身についていった。

行く前に日本で聞いていた多言語のCDは区切りがなく聞こえていたけれど、今でははっきり区切れて聞こえる。また、一つ一つのフレーズに友だちの声や顔も浮かんで聞こえるようになった。この1年で私は、ことばについてよく考えた。きっと自分が赤ちゃんのようになって、ことばを自然習得したからだ。私がよく使うことばは、きっと誰かもよく使ってたことばなんだろうなと思う。よくこどもが親そっくりのことばを使うように。

このイヤロンではたくさんのことにチャレンジして、自分が大きく成長した最高の1年だった。ドイツでのホストシスターが私の帰国に合わせて、今度は日本に留学に来た。ある意味、私のイヤロンがまた始まると思う。