オヤジの韓国交流記|体験談|ヒッポファミリークラブ
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体験談・メンバーの声

オヤジの韓国交流記家族交流体験談

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小倉訓 / 神奈川県

2005 年の秋、日本のお父さんメンバー総勢37名が、韓国交流に出かけていきました。今回は、1泊ホームステイと韓国ヒッポの合宿へ参加するというプログラム。単身で参加した親父たちのホームステイを受け入れてくれた、「アナギの会(アジュマ ヌン ナラエ キドュン:母が国の柱、いろいろな活動を通して女性の意識向上を目指す団体)」とは、今回新しく交流することになり、初めての初めての出会いを体験することになりました。また後半は、韓国ヒッポファミリークラブ主催の合宿に参加し、日韓のメンバーの交流を深めました。

韓国のホスト家族と。後列一番右が小倉さん

ソウルのホテルでの対面式から始まったホームステイ。そろいの赤いTシャツを着た日本の親父たちが、皆で準備をしてきた韓国語でのヒッポの紹介や体験談に、いっぺんに会場はなごやかな雰囲気になりました。 そんな中、どの人が私のホスト家族だろう?わからなかったらどうしよう、もしホストが来なかったらどうしようと、いい親父が不安だらけになりました。ステイする家族の構成や趣味などを事前に調査表で交換するのですが、たまたまそこに写真がなくホスト家族の顔がわからなかったので、実は不安と緊張の中、対面式を迎えていたのです。 でも迎えに来てくれたオンマ(お母さん)のかわいらしい笑顔に、その不安はいっぺんに吹き飛び、嬉しくて今までの緊張も一気にとけていきました。   街で、はぐれた私をオンマが探してくれた時のこと。私が「ヨギヨー(ここだよ!)」と言うと、「ネー(は~い)」って返してくれ、その「ネー」が可愛くて何度も聞きたくなってしまいます。そして、オンマはこの私の「ヨギヨー」のひとことに、「ハングンマル チャラシネヨー(韓国語が上手ね!)」とほめてくれるのです。きっとそれは話せる単語の数ではなく、本当に韓国の人が言うような調子とタイミングで応えていたからだと思います。 ご主人は私より1つ年上でしたが、アッパ(お父さん)と呼ばせてもらい、たくさんの話をしました。アッパの韓国語はとても早口でしたがおおまかにその内容を理解ができ、「ネー」と相槌を打つタイミングも絶妙だったようで、会話がどんどん進んでいくので。 カラオケでは大いに盛り上がり、お酒を飲み交わしながら互いに知っている歌を歌おうってことになりました。私が韓国語で「ソウル」を歌うと、アッパが日本語で「ブルーライトヨコハマ」を歌ってくれ、しまいには一緒に声を合わせて歌い、親父同士ほんとうに仲良くなりました 別れる時に、最初とても不安であったけれど楽しかったと伝えようとしたら、涙があふれてきてしまいました。今度は私の日本の家族と一緒に韓国へ行って、また会いたいと思う素敵な家族ができました。   後半は、日本から参加したほかのメンバーたちと一緒に、韓国ヒッポの合宿に参加しました。皆が多言語で自己紹介をしたり、いろいろなことばで盛り上がったり、また夜の懇親会でたくさんの親父たちと話をしました。私の隣にいた韓国のお父さんから、家では多言語のCDが日常的に流れているけれど新聞記者なのでとても忙しく、活動にはなかなか参加できないと聞き、どこも同じだねと話しました。 まだメンバーになって間もない韓国のお母さんが、ここでは韓国も日本も関係なく、またお父さんもお母さんも同じテーブルにつき一緒に飲んだり食べたりしながら、ワイワイ話せたのがとても嬉しかったと言っていたのが印象的でした。そういえばホームステイした家庭でも夕飯時は、男性陣と女性、こどもたちが別のテーブルで食べていたことを思い出しました。 この韓国交流の間、本当に今、自分がどこにいるのかわからなくなるほど、いろいろなことばが飛び交う中、韓国、日本といった国を越えて、ひとりの親父として出会い、またそこでは商談や仕事では味わえないような楽しい、話題の尽きない時間を共にすることができました。 この3泊4日を振り返ると、青少年交流に行くこどもたちとなんら変わらない自分たちでした。「再び韓国へ帰りたい!」と思うと同時に気がつけば、この交流を通して韓国語を身近に感じ、らくに話せる自分たちを発見することができました。