前人未到の愉しみ
藤村 靖
( ふじむら おさむ )
国際高等研究所フェロウ
オハイオ州立大学名誉教授(音声言語学)
トラカレ研究協力者
2006年ひっぽしんぶんNo.28
1965年頃の話である。私はストックホルムから帰国し、東大医学部に新しく作られた音声言語医学研究施設で音声言語科学の学際的な研究を始めることになり、アメリカのNIH(注1)から受けた研究助成で、日本初のPDP-9計算機(注2)を手に入れ、様々な実験研究を考えていた。当時はアメリカでも実験のコントロールに計算機をオンラインで使うということはまだ行われていなかったので、音声研では若い研究者たちがアセンブラー(注3)を使って自分で書いたプログラムを駆使し、前人未到の仕事をして欧米の研究者を驚かせ、皆、意気軒昂であった。理論言語学の分野でも、時々尋ねてくる内外の若手研究者たちとも大いに議論しながら、今は亡き原田信一君(注4)のおかげもあって、世界の研究の最前線に立つことができた。
当時そのような研究活動を、何かにつけて、様々な形で支援してくれた人が榊原さんだった。彼自身、考えることが常に常軌を逸した先端的なアイデアで最前線の技術を開発しながら、いつも「ことば」というものの本質に迫ろうとする研究態度で独特の言語教育事業を起こしていて、私はその思い切った決断力に感服しながら、一緒に仕事をすることを心から楽しんでいた。 言語学者として有名な服部四郎教授のお手伝いをして、理論言語学講座やサマーセミナーに参画し、傍らでは、榊原さんの考案による英語教育プログラムのための特殊なテープレコーダーの設計を手伝い、さらにMIT(マサチューセッツ工科大学)の言語学者Jim McCawleyの協力によって、日本人の英語習得のためのオンライン計算機による人工知能的な半自動方式を考え出し、文法と発音・受聴の両面で、先端的な実験をすることもできた。
このことについては1971年の国際応用言語学会議(ケンブリッジ大学にて)に招かれて講演した。当時学生運動による混乱を避けるために、計算機を学外に運んでの実験を続けていたことなど、今では懐かしい思い出となっている。ベル研究所(注5)が、その物理や電気工学一辺倒の伝統から脱出しようとして、言語学の研究部門を新しく作るために私を呼んだのも、そのようなユニークな研究グループを主宰していたからで、当時の音声研の成功は、多分に榊原さんの支援に負う所があったと言っても決して過言ではない。実際Yo Sakakibaraの名前は、ベル研でもMITでも、広く知られていたのである。
榊原さんは、「子どもたちの家庭に英語の聞えてくる環境」を作ろうと、まだ何も無い時代、英語音声を再生するための特別なテープレコーダーを提案し、その実現に私も参加することになった。私が研究者のセンスで指定した通りに、また極めて有能な技術者の絶大な貢献もあって、当時としては、素晴らしい性能の多チャンネルテープレコーダーを作ることができた。これについては、ソニーの技術者が見にきて青くなったという話も聞いた。
榊原さんのアイディアは余りに先進的であったので、世の中はついていけなかったのだと思う。今なら難なく実現できることも、当時は技術的な問題もさることながら、社会の状況がまだそのレベルまで到達していなかったために実行できなかったことが多々あった。たとえば彼は電話を使って、契約者がアメリカ人などと直接対話することによって英語の練習をする事を考えていたのだが、当時の通信規制規則では、それは許されなかった。
あるアメリカ人の友人は、もし日本語が解ったら、榊原さんからもっと多くを学ぶことができたのにと嘆いていた。まだまだ後進国であった当時の日本社会の枠をはみ出した、彼独特の考え方や経営法は、これからの日本企業にとっても、本当に貴重な実験であったと思う。 世界を視野において、社会のために、人間のために、革新的な物の考え方で本当に役に立つ仕事をする。それと同時に、実業を通じて言語理解の本質に迫ろうとする榊原さんの情熱は、優に企業の範疇を超える、人間の言葉の特性についての哲学的な信念に基づくものであり、それでこそ、言い知れぬ困難を克服してのヒッポの現在があるのだということを忘れてはならないと思う。
注1:1887年にアメリカ合衆国の国立の医学研究拠点機関として設立された。
注2:Digital Equipment Corp(MA.USA)の小型計算機。当時、MITの実験機に基づいて設計されたPDPシリーズ中、最も大型の高速機。
注3:プログラミング言語を作成するために専門家が使う、機械語に最も近いプログラミング言語。
注4:70年代の日本の言語学界を疾駆し夭折した生成文法学者で、当時,東大医学部音声研の助手だった。
注5:Bell Systemといわれる米国の全国的な電話事業(私立)の研究開発部門で,その基礎研究部門では。多くのノーベル賞受賞者を輩出した。