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ヒッポの活動を応援してくださっている先生方

発見は足もとに

丸山 瑛一

(まるやま えいいち)

理研イノベーション推進センター特別顧問
言語交流研究所 理事

2005年ひっぽしんぶんNo.22

 私とヒッポの出会いは、今から20年ほど前、国鉄(現JR)に居られた尾関雅則さんが日立製作所の常務取締役として着任されていた頃のことです。当時、私は日立の中央研究所にいて、同僚からこんな活動があるよ、と紹介されたのがきっかけでした。“ヒッポのマテリアル”として彼に聞かせてもらった英語と韓国語で交互に語られているテープには、大変おもしろそうだと興味を持ちました。そこで、私もぜひ欲しいと思ったのですが、ヒッポメンバーになることが条件とのことで、毎週の参加は時間的に無理だろうと一度は諦めましたが、ヒッポにはトラカレという研究部門があると聞き、活動自体に大いに興味をそそられ本部にお邪魔するようになりました。

 そこでは、榊原さんの自然習得の理論に感心したり、メンバーの方々が自由に多言語をあやつる姿に驚嘆したり、フェロウの方たちから楽しい体験談を聞かせてもらったりしました。ところが、多言語の自然習得のことをいろいろ人に話してみても、なかなか信用してもらえないのです。知り合いの著名な女性物理学者には「それが本当だというなら、丸山さん、ここで7ヵ国語を喋ってみせてよ。そしたら信用するわ」と言われました。そこまで言われてはやってみせるしかない、と思いヒッポに入会したのです。

 私は学生時代には科学史や物理の研究に携わり、社会に出てからも企業研究者として様々な研究開発の分野で仕事をしてきました。特に30代から40代にかけての10年間は、NHKとの共同研究の日立側のリーダーとして、新しい“テレビ撮像管”の開発とその実用化に向けて取り組んできました。とにかくまだ誰もやったことのないものを作るわけですから、その頃は、研究所から近くの自宅に帰るのも子どもと風呂に入る時位で、風呂をすませてはまた研究所へというような生活でした。どうにか5年ほどで画像が満足に映るところまでこぎつけましたが、今度は、また新たな問題点が次々見つかってくるのですからたまりません。“焼き付き”と呼ばれる画像の欠陥をクリアにするには、画面のキズをなくすためには、耐熱性を高めるには、画像を高感度化するには・・・という壁をひとつひとつ越えていくための“実験”は、それこそ失敗と挫折の連続。それでもそこから手にした“発見”を、皆で積み重ねていくことでしか真の完成に近づくことはできません。

 “発見”は足もとの金塊のようなものです。通常はそれが金塊であることに誰も気付きません。それを見つけるためには自分の中でいつも探し続けていることが絶対に必要です。考えられる限りのあらゆる実験を重ね、あらゆる可能性を探り、自分で思いつく限りのことをやりつくし、もうやることがなくなったと思う頃に、突然、発見は向こうから顔を出してくれます。そんな経験をこの開発の中で何度もしました。

 この時の撮像管の開発は、全国発明表彰で科学技術庁長官賞を受賞しました。その後、共同研究者の谷岡さんの大発見で恩賜発明賞を受賞するというブレークスルーを経て今では、世界一高感度の撮像デバイスに進化しています。

 人間がいかにして言語を習得するかというメカニズムは、これまでほとんど解明されてきていません。人間は誰でも言語場の中に投じられると何ヵ国語でも自然に習得できるという事実や体験をもとに、科学的な言語学習理論を新たに構築しよう、というチャレンジングな実験の場が、ヒッポでやっていることの本質ではないでしょうか。ひとりひとりの実体験からの“発見”を構築していく場だといってもいいでしょう。

 かつて「エスペラント」という人工言語が世界的に流行しました。しかし、人工的につくられたことばはどんなことばでも、やがては死んでしまいます。ことばを人間の「生きて成長している現象」として捉え、そこに向けて様々な挑戦をしているヒッポの活動は、まさに新しい試みでありサイエンスの実験と重なるものです。

 現在、私は理研スタッフを対象にしたヒッポの活動を主催しながら、研究者たちの知的好奇心を刺激するアプローチはないものかと、まだまだ悪戦苦闘中です。研究者たちは多言語に興味をもちながらも、幼児の習得プロセスを模倣するヒッポの活動には、なかなか参加しにくいようです。ですが、先の研究体験のたとえでいうと、彼らのニーズに応えられるような活動のやり方について、考えられることはいろいろ試みて、なんとなく解決が近い、という予感が得られてきました。理研のヒッポはかなり要求の高い人たちの集まりですから、彼らの多言語体験を話し合う場がひろがれば、ヒッポ活動が今後、より明確に理論づけられ、活動にももっと奥行きや幅が生まれてくるのではないかと思っています。

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