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ヒッポの活動を応援してくださっている先生方

ヒッポはな~に?

内田 幹和

(うちだ もとかず)

元日立情報システムズ専務取締役
言語交流研究所 理事

2004年ひっぽしんぶんNo.13

 私とヒッポとの付き合いは20年位前に遡る。その時に見たファミリーでは喧騒の中でことばの習得をしているのに驚き、その一方で若い人たちがフーリエ解析について目を輝かせて説明してくれたのには感動した。どうやったらこのような人が育つのか、興味をもった。それ以来、毎年開かれるトラカレという学校ともなんとも判らないカレッジの入卒業式に出席した。そこで話されていることは、私が受けた外国語、物理の教育、研究発表とは全くかけ離れており、何回出ても不思議だった。

 ところが、最近ヒッポの講演会で、「トランスナショナルの中のトランスということばは“~を超えて”という意味の接頭語です」と言う話を聞いて、ヒッポとは外国語を覚えることや自然科学の勉強を目的としている所ではなく、国境を越え、人種、分野を越えて人と人との交流の輪を広げる事を目的にしているのかも知れないと気が付いた。そういえば、榊原さんはその著書『ことばを歌え!こどもたち』(筑摩書房)で「隣の国を飛び越えて、遠くの国の人と付き合えるはずがないと思って、韓国語を始めた」という意味のことを書いておられたのを思い出した。人と人をつなぐのはことばだから、交流のためには、その人のことばで話をする必要があろう。こどもは生まれ出た時から親や兄弟に囲まれ、その話しことばのある場の中で、聞いた音を真似して口から出し、それを聞いた親、兄弟との相互作用の中で育っていく。そこには先生、生徒の関係はなく、人間同士の付き合いしかない。それと同じ場を作って、自然にことばの習得をしているのがヒッポのファミリーだろう。そこではストーリーCDの音を聞いて聞えたままを口に出してみることを皆でやり、全員でことばを育てていくようである。この聞えたままを口に出してみるのが秘訣らしいが、私のように「間違えてはならない」と強く教え込まれてきた人間には大変な苦痛で、そこから脱却するのに四苦八苦している。そこを脱却し、音を口に出してみることが楽しくなった大人はすぐにいくつものことばで話せるようになるようだ。

 「教える」「教えられる」という関係のないフラットな場の中では、人間が育っている。ヒッポの人は、大人もこどもも日本語での話も上手になり、積極的に発言し行動するようになっているのには感心する。単に外国語としてロシア語「を」話すことはできないが、ロシアの人と話したいと思った時には自然にロシア語「で」話すことはできると言った人もいる。またヒッポのお陰で学業成績や営業成績も上がったとか、ビジネスにも役立ったという話は、この「しんぶん」にも体験としていくつか載っていた。他に、話しことばから始まり、いつの間にか文字も読めるようになり文章も書けるようになったと言う人もいた。確かに、我々もこどもの時、日本語を「聞き」「話す」から「読む」「書く」に進んだのだから、他のことばも同じようにするのが自然なのだろう。 

 今の世の中の教育は「教」が強すぎて「育」がおろそかになっている気がする。ヒッポは外国語を「教える」「教えられる」団体ではなく、国境、分野を越えて人と人との交流の輪を拡げ、ことばと人が「育っていく」場を提供している団体なのかと今更ながら気がついた。外国語の知識を一刻も早く吸収して追いつけと言っていた時代は過ぎ、これからの時代には自然に帰ることが必要なのではないだろうか。

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