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ヒッポの活動を応援してくださっている先生方

多言語習得

街を歩いていると「7ヵ国語で話そう」という黄色いポスターが目に入ることがある。これは「ヒッポファミリークラブ」という多言語習得クラブのポスターである。 このクラブは東京渋谷に本部をもち、国内で2万人近い会員を擁し、海外にも多くの支部を持って国際的に活動している団体である。正式名称は「言語交流研究所」といい、創始者は榊原陽氏で、1981年にスタートした。

榊原氏の考えによれば、すべての言語は人間共通の頭脳活動であり、「外国語」というものはそもそも存在しない、という。この活動はいちはやくエレクトロニクス機器を語学習得にとりいれてきた。外国語を習得する場合、ネーティブの教師が必要だと誰でも考える。しかし、ヒッポの方法では教師は不要である。発音はすべてCD教材(以前はカセットテープ)を繰り返し聞くことによって学ぶ。この教材の特色は同じストーリーの内容をあらゆる国の言語で用意していることで、現在では台湾語やトルコ語を含めて19ヵ国語が用意されている。会員は週1回のミーティングに顔を出すことによって、お互いにCDの口真似をして発音を練習する、というのが活動の内容である。会員はi-PodやウォークマンにCDをコピーしてつねに耳慣らしを心がける。

外国語学習にはさまざまな意見がある。小学校教育に英語を導入する際にも「日本語もまともに話せないうちに英語を教えるのは誤りである」という強い反対意見があった。また小学校の現場では、英語を教えられる教師がいない、という混乱がおこった。これは榊原氏の考えによれば、「日本語」に対立する概念として「外国語」をおくことから来る誤りであって、例えばヨーロッパの小国においては公園で遊ぶ子供の間で、つねに4ヵ国語ぐらいの言語が飛び交っている、というのである。かれらにとっては多言語をあやつることがむしろ自然で、1ヵ国語に固執していては、日常会話すら不自由になる。

人間は誰でも、最初、言葉を覚えるのは母親の語りかけを耳から聞くことではじまる。そこには文法も文字もない。したがって、何語でも耳から繰り返して聞き、口真似することによって、初歩の会話は身につけることができる。文法や文字はそうやって身についた言語を整理するための手段であって、あとから学習すればよく、この順序を間違えることが外国語学習を挫折させるのである。 外国人教師不要の英語入門であるヒッポの方法をとりいれている小学校がすでに100校以上にのぼっている。 ヒッポの活動はこういう考えで進められ、市民活動として、かなりの成果を収めつつあるが、面白いのはこの活動に対する学者の反応である。榊原氏の考えを比較的、抵抗なく受け入れたのは物理学者を先頭にする科学者たちであって、最後まで抵抗を示しているのが言語学者、国語学者、外国語教育者であるというのも興味深い。これは、このあと本稿で触れるトラカレ活動にも関係する。

ヒッポレターシステム

言語交流研究所では、以前から言語の表記法に漢字を活用する手法を試みている。これを「ヒッポレターシステム」と呼んでいる。

文字と言語は一体のものではなく、言語の表記法として文字が発明され、利用されてきた。日本でも漢字を利用した万葉がなや発音表記のためのカタカナ、ひらがなが発明され、漢字と併用して用いられてきた。韓国では15世紀に世宗国王によってハングル文字が制定されて一般的に使用されている。

漢字は基本的に表意文字であって、国によって発音が異なっている。例えば「学校」は日本語では「ガッコウ」と読むが、中国語では「シュエシャオ」であり、韓国語では「ハッキョ」である。しかも縦書きにしても右横書きにしても左横書きにしても意味が通じるという便利な文字である。 漢字を使う民族は全世界で中国に13億人、日本に1億3千万人、韓国・北朝鮮に7千万人、台湾に2千5百万人、ベトナムに9千万人と極めて多い。またアルファベットを使う民族に比べて,漢字使用民族の識字率が高いことも知られている。世界68億の実に4分の1が使う表意文字の漢字を共通文字として使うことを考えれば意志疎通に有効であろう。 ヒッポレターシステムはヒッポファミリークラブの教材に漢字を使ったテキストを採用している。例えば、「私は学校へ行く」を英文表記では“I go to 学校”と書き“I go to school”と読ませる。つまり、表記には漢字を使うが発音は地の言語にあわせる。 こういう表記法を使った文章は地文がハングルで書かれていても、ロシア語で書かれていても、漢字さえ理解できれば何について書かれているかが一目でわかる。発音は別にしても、会話において筆談することも可能になる。このことは日本人が中国人や韓国人と会話するときにしばしば使うやりかたで、同時に相手から発音を教えてもらえば、単語の学習にもなる。

漢字は東アジア圏で普及しているが、国によっては歴史的に中国文化の侵略の象徴として嫌うところがある。例えば朝鮮半島ではハングルを使い、ベトナムではフランス語の影響でアルファベットを使うなどである。しかし、世界的なワープロの普及で、漢字を書くことは容易になってきているので、漢字まじりの表記も国際的な相互理解に有効であろう。このことはわれわれが漢字を使用する国を旅行するとき、レストランを探す便利さを考えてみればよくわかる。

トラカレの活動

言語交流研究所ではヒッポファミリー活動のほか、トランスナショナルカレッジオブレックス(通称トラカレ)という学習活動も実施している。これはもともと言語が音声によって伝えられることから、発音をフーリエ級数で解析したらどうなるか、という関心ではじまった活動であるが、フーリエ級数からはじまって、量子力学、DNA,古事記、万葉集など科学・文学のあらゆる分野にひろがっている。

トラカレの学生は大学生、社会人などさまざまであるが、活動の特徴は、微積分もよく知らないかれらがテキストを前にして、議論した内容がそのまま、これまでに書物として出版されて隠れたベストセラーになっていることである。中でも有名なのが「量子力学の冒険」と題する書物で、これは学生たちが朝永博士の「量子力学」を土台にして交わした議論を京大の山崎和夫名誉教授の指導でまとめたもので、マトリックス力学やシュレーディンガー方程式にも果敢にとりくんでいる。この書物はトラカレの1期生がまとめた第1版を土台に第2期生が議論して、さらにそれを土台に第3期生が議論して改定する、という手法をとったため、版を重ねるにつれて出来栄えがよくなっている。

専門家の目でみると若干気になるところも残っているが、数式を敬遠せずに素人が量子力学に取り組んだ意欲が伝わってくる特色ある書物で、日本語版は全国の大学や高専、企業などで教科書としてとりあげられた実績を有する。 また南部陽一郎博士の監修で博士の令息潤一氏も協力した英訳本は、量子力学の名著にまじって全米量子力学教科書のベスト10に堂々名を連ねている。その他、中国語訳、韓国語訳、スペイン語訳も完成していて、英語版は米国のコーネル大学、ニューヨーク州立大学などで教科書や参考書に採用されている。南部博士は20年近いこの活動の支援者で、来日の際にはトラカレの学生たちに特別講義をすることもある。

同じ「冒険シリーズ」の「DNAの冒険」は生命誌研究館館長の中村桂子博士の指導で主婦たちも交えたトラカレ生がまとめたもので、「フーリエ」、「量子力学」と並んで3部作になっている。

「科学」は「言語」である

トラカレ生たちが数式を含む科学に果敢に挑戦する秘密は「科学は言語である」という認識である。自然という対象があり、それを記述する言語が「科学」なのである。その切り口の違いが「物理」であったり、「化学」であったり、「生物」であったり、「地学」であったりする。したがってかれらが「多言語」に挑戦する手法を使えばどんな科学にも挑戦できる。

多言語に挑戦するとき、文字や文法から入ると大抵挫折する。まず耳から全体をとらえて、次第に細部に進んでゆくのである。この手法を「科学」という「言語」にあてはめれば、まず、数式の理解から入るのではなく、数式を含んだ教科書に取り組んで最初から最後まで「目を通す」ことからはじめる。これをかれらは「ページに風を入れる」といっている。この行為を繰り返していると数式も見覚えのある「文字」に見えてくる。そして次第に「意味」の議論にはいってゆく。このときも隅から隅まで理解する必要はない。解るところだけ解ればいいのである。すでに全体は「風をとおす」ことで大まかなイメージが捕まえられているので、そのわずかな部分でも納得できれば「理解」が深まることになる。 ここで「理解」とはなにかが議論になるかも知れない。トラカレの学生にとって科学の理解とは外国語の理解とおなじで、無数のレベルがある、と考えるべきなのである。

ヒッポのメンバーを対象にした「オープントラカレ」とよぶ講座シリーズがある。講師は物理学者、生物学者、作家など多方面の専門家で、聴講生は小学校5年生以上、年齢の上限はない。小中学生に混じって大学生、40代50代のお母さんたち、60歳を過ぎて定年退職した元サラリーマンなど多彩である。こういう聴講生を前にして講師は自分が現在最も関心を持っていることを話すように要求される。講義のあとで聴講生の感想文がもどってくるが、年齢によって関心の対象は千差万別である。しかし、ほとんどが「面白かった」といってくれる。「理解」とはこういうことか、と講師自身が教えられる。

科学リテラシー

現代の科学は専門が細分化されている。「科学リテラシー」を高めるためには物理・化学・生物・地学に横串をとおして現実の問題にあたることが必要である。例えば環境問題を議論するためには、物・化・生・地すべての科目の理科知識を動員しなくてはならない。そのための教育はどうあるべきかといえば、トラカレのアプローチが参考になるのではないだろうか。

言語交流研究所が多言語の知識を動員して「人麻呂の暗号」という書物を出版した。これは万葉集の解釈に韓国語の影響を取り入れたもので50万部を超えるベストセラーになったが、国文学者から素人の俗説であるとして強い反発を受けた。 しかし、日本の言語学者から冷ややかに見られてきたこの活動も最近、米国の言語学者であるMITのスザンヌ・フリン教授が強く支持してくれている。有名な言語学者であるチョムスキーの系統の学者で30年前から多言語に関心を持っていたという。これを突破口にして、日本の脳科学者にも関心の広がりが見られる。言語と脳の関係は最新の脳科学のテーマでもあるが、言語に限らず、科学リテラシーの問題としても考えてみると面白いと思う。今回の科学教育シンポジウムでは、理科離れの学生に易しく、面白く科学を教える工夫がいろいろ紹介されたが、その面白さと最先端の科学の面白さをどう結びつけるかが必ずしも明確に示されていなかったように感じた。

トラカレの子供のなかには、シュレーディンガー方程式でもマクスウェル方程式でもすらすらと暗誦して見せる子がいる。ある物理学者にこの話をしたら、意味も解らないのに方程式を暗唱してもナンセンスだといわれた。確かにそれも一理あるが、江戸時代の日本の子供は親から論語の素読を教えられた。そのときはまったく意味が理解できなくても成人して意味が解ると立派な教養になる。湯川博士の教養の基礎に子供のころ教えられた漢学の素養があったというのは有名な話である。トラカレの子供たちが意味のわからない方程式を暗唱することが、その子供の科学リテラシーにどう影響するか、しばらく見守りたい。

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