
ことばのことで焦っていた僕は、一人で勉強していた。そんな僕にホストママから「勉強は日本でもできるけど、ドイツ人と話すことは今ここでしかできないわよ」と言われて、はっとした。そして勉強するのをやめてみた。

それまで一緒にいた友だちは、日本には興味があるけれど、私自身には興味がないようだった。“日本人の友人”ではなく一人の人間として見てもらいたかったけど、簡単なことじゃなかった。12月29日の夜、その友だちと出かける予定がキャンセルになった。でも一人で家にいたくなかった私は、家の近所のPista(スケート場)に行ってみた。

ホストファミリーと家族になってくると決意して日本を出たものの、どうしたら本当の家族になれるのか、自問自答の日々でした。初めはとにかくお手伝いをしようと思い、自分なりにやってみました。けれど、ある日の家族会議でMomから「お手伝いが少ない。うちは3人家族なのだから、3分の1の仕事をあなたがしなければ、家の仕事は廻っていかないのよ」と。YLでは「自分なり」が通じないんだと実感。

私のホストママは韓国人で、両親の職場には韓国人ばかり。おまけに14年日本に住んでいたこともあったので、日本語も聞こえてくる環境でした。私はどこに来たのだろうとその状況をなかなか受け入れられませんでした。年明けまでずっと、ホストチェンジを考えながら過ごしていました。

最初YLに行きたいと思ったのは「明るくなりたい。内気な自分を変えたい」という思いから。ホストパパとママは、僕のことを本当の息子として受け入れてくれた。そのせいか、兄弟たちは面白くなかったらしくて、だんだん僕に嫉妬してきた。嫉妬から逃げ、兄弟たちと真正面から向き合えない自分に、こんな事をするために来たのではないと悩んだこともあった。

YLへ行く前は、YLはとてもすごいもので、自分が大きく変化して帰国するものだと思っていました。帰りの機内でもうすぐ日本という時、近くにいた友人に「あと10分で、俺ら帰国生だよ」って言いながら、自分のYLを思い返してみました。特に何もすごいことしてなかったし、自分自身がそんなに変わった感じもなかったので、おかしいなと思いました。

私はYLへ行くためにヒッポに入った。学校の先生には、奨学金も出る学校のプログラムで行くように言われた。でも学校では「一緒に行く友だちはライバル」と言われて、同じ頃参加したヒッポのYL説明会で聞いたことと全く違った。悩んだ結果、仲間として一緒に準備ができるYLを選んだ。もちろん準備の間の一年間は、いろんな友だちができて楽しかったし、充実していた。

ヒッポファミリークラブでは、複数のことば(多言語)を勉強ではなく、赤ちゃんのように自然に習得する活動をしています。

ヒッポの活動やトラカレ(研究活動)を応援してくださっている方々からのメッセージやレポートなどを紹介します。
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